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神経律動倶楽部
気まぐれエッセイ
NEURO STREET

加速した携帯

現在、この前に書かれた文章「加速する言葉」から5年後である。 今、その文章をはじめて読んだとすると、多分意味不明の部分が多いことであろう。 (意図的に古風な文体にしてはいるのだが・・・)

たとえば「モデム」なんて代物は、もはや今では意識することも少ない。 それに公衆電話から高速でポケベルにメッセージ打つなんてこともない。 ポケベルはすでに絶滅していると思われる。 もはや携帯電話は一部の頑固者や、いまさら不要の老人、まだまだ不要の幼児以下を 除いて、ほとんど誰もが持っている時代になった。 そして100%近い普及率となっても、次々と新機種が登場し、人々はそれに乗り換える。 インターネットやEメールができたり、着メロが着歌になったり、カメラ機能が付いたり、GPSで自分の 居場所が確認できたり、カヴァーデザインが着せ替えられたり、音楽がMP3で聴けたり、 携帯画面でTVが見れたり、留守宅の機器の遠隔制御ができたり、仮面ライダーに変身できたりするってだけの新機能の魅力につられて・・・

番号が変わればイニシャルコストがかからないものもあるので、 おかげで頻繁に変えられると相手の電話番号がわからなくなることも多い。 いまや家に固定電話は不要の時代だ。ならば国民総背番号のかわりに携帯番号を各個人に設定して 生まれたときから不変の番号に固定しよう!(国民総携帯番号制)
もちろん特定の相手からの着信拒否可能。 そうすれば迷惑電話はなくなるし、機種を毎月替える友人も捕まえられる。 かといって本人と電話番号情報だけなのでプライバシー上の問題は何もない。 すなわち自分の名前がちょっと長くなるのと同じである。あるいは 個人名=メールアドレス=電話番号という1対1の相互変換によってもよい。 例えば、「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ・・・(中略) ・・・超究明の長介」ぐらいの長さの名前にすれば全国民を区別できるので便利だ。

(2003.10 予知夢)


加速する言葉

デジタル通信機器も随分進歩したもんだ。中央演算装置のクロック周波数が速くなる と、それに応じて周辺機器類の動作速度も速いものが開発されていく。 (もっともそれに比例してソフトウェアも重くなっているけどね。) いちばん顕著な例はモデム。10年前は1200bpsのモデムも高価だったが、 今じゃ同じような値段で10倍以上の転送速度のものがあるではないか。 300から1200bpsあるいは2400bpsへの移行時には画面を流れて行く 文字列の速さに感激したものだが、今じゃどっちみち目にも止まらぬ速さなので 加速の実感が少ない。

情報通信で今や1人に1機となりかねない(わしは持ってないけどね)、携帯電話 PHS。これらもデジタル化されてアナログ換算すれば、かなりの bpsだ。最近では学生でも手軽に手に入る時代。 こういった機器を勉学のために使うのは非常に有意義なことです。 (まさか遊びやプライベートならぶらぶ会話のためばかりに使うなんてことは ないでしょうね。)

特に女子学生などを観察すると硬貨またはプリペイドカード併用方式公衆電話 からの自動伝言受信装置(通称ポケットベル)へのメッセージ打ち込みは 非常に高速な動作で実行される。ただし人間のやることなので限界があり、 平均すると4(打鍵/秒)程度だと思われる。 しかし肉体的限界に迫る、かなりの速さであることは間違いない。

さらには会話。超高速情報時代に見合った話法が秘かに開発されているようだ。 話す速度が向上していることに加え、PHSピッチなどと 呼ばれるように単語の短縮が頻繁に行なわれる。これは 通話料等も秒単位で規定されることを考えれば、当然のことである。 いかに短く速く、相手に自分の意志を伝達し得るかは時代のニーズである。 この話法が普及して行けば単語の発音長は平均して1/3程度、 文章全体で考えても半分の発音で同じ内容が伝えられるのである から2倍〜3倍の脅威の情報圧縮率である。 元来日本語の単語は漢字の熟語である場合が多いので、各漢字の頭を取ってくれば 簡単に短縮形が得られるという、日本語に非常に適した話法であると言えよう。 ここでこの話法のことを「単語短縮による高速話法」と呼ぶことにする。 例えばこれを短縮すると、「たたこわ」となる。この呼称が普及すれば、更に 短縮して「たこ」とすることも可能である。

しかしユーザーの中には、この話法のメリットに気付かぬものがまだ多く、 「***さー」とか「***しー」とか 語尾を伸ばしてしまい、せっかく短縮したものが通常で話すのと変らなくなって しまっているものも見かける。このあたりは国語の授業などできちんとカリキュラム を組み、学生たちの認識を深め、カーネルからのバージョンアップをして いくことが教育関係者の課題である。

単語短縮形高速話法におけるもうひとつの問題点は同音意義語が多くなること だろうが、文章の前後関係から類推することと、微妙なイントネーション、アクセント を付けることでこれも解決されよう。

最後の問題は、人間の思考速度の問題に行き着く。これら高速情報伝達需要に見合った 超高速度のクロック周波の脳味噌(超伝導技術と脳神経化学の応用テクノロジーが 必要と思われる)の早急なる開発が期待されることになろう。(1998.5 予知夢筆)


情報の海に漂って

今年も「暑中見舞を申し上げる」季節がやって来た。年賀状とともに、 ワープロが威力を発揮できる数少ない機会でもある。何枚も宛名書きするような場 合に非常に便利である。そしてワープロで印刷されたアウトライン・フォントの明 朝体、更には一流書家による毛筆体の何と美しいことだろう。誰から来たのだろう と、配達された何通かの葉書に目を通してみる。そのほとんどがワープロで印字さ れたものであるが、たまに自筆で丁寧に書かれたハガキがある。決して達筆でもな く、文面としても特別なことが書かれているわけでもないが、なぜか心に訴えるも のがある。

タイプされた文字、活字というものは、文字を読みやすく表示することに加え、そ の文章の説得力を向上させる効果があるはずだ。それでもこれだけ印刷文字が氾濫 してくると、手書きの方が逆にインパクトがあったりする。

現代は高度情報化社会と言われ、お金と等価に情報というものが扱われるようにな り、提供する側は情報が商品である以上、迅速かつ正確にというのは勿論のこと、 他者よりも目立ち、説得力があることが必要になってくる。そして情報を受ける側 としては、いかに価値ある情報だけを抽出して役立てるかが重要である、というよ うな当たり前のことをよく聞かされてきた。しかしマスメディアから得る情報には、 つい盲信的になりがちである。確かに美しく装丁された活字や綿密に構成された番 組の放送には強力な説得力がある。そしてマスメディアの報じる事柄は常に正しく 真実であると、つい思ってしまう。このような状況で有用な情報だけを選択してい くことは非常に難しいのではないだろうか。

わたしは情報を絞りこむのでなく、ある程度の情報量を確保して、それをざっと眺 めるようにしたいと思う。かつてフリチョフ・カプラが現代物理学と東洋哲学に共 通性を見出したように、全く関連のない分野のあいだに、意外なところで共通性を 見出したりすることがある。わからなかった事も、意外な方面からヒントを得たり する場合がある。時には浅く広く混沌たる情報の海を流されてみたい。

最近の応用数学の分野では、自然界あるいは社会に本質的に存在すると思われる「 複雑性」の重要性を認識しようという動きが見受けられ、非常におもしろい状況に あるようだ。例えば武者利光氏の「ゆらぎ」に関する著書を読むと、生物はデジタ ル的なきっちりした形や音には安らぐことはできない。「ゆらぎ」があるからこそ 安らぎがあり、それは命あるものの証拠であるという。話は元に戻るが、ワープロ も、各個人のくせを取り入れた、ゆらぎある文字が印字できるようになれば、風流 な暑中見舞ができると思う。

Aug.26,1994 / 某地方雑誌への掲載エッセイをそのまま使用したものである。



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Last modified on Aug.17,1997
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